過当競争は悪なのか?

10年以上前からずっと言われ続け、特に不況期ではクローズアップされやすい話のひとつに、「縮小する国内需要とそれに比して数の多い供給者」というのがあります。そうした文脈で出てくるキーワードは、過当競争、供給過剰、消耗戦、利益なき繁忙、内向き、限られたパイの争奪戦といったどちらかと言えばネガティブなニュアンスの語が多い。決して、創意工夫とか切磋琢磨といった前向きな語呂は登場しませんね。過当競争で供給過剰だと持久戦になり易く利益は挙げ難い。しかも将来成長のみえない市場で、限られたパイを奪い合うのは消耗を通り越して不毛にすらみえるでしょう。ですから、株主や投資家といった外部ステークホルダーからすればこの状態はとても厄介に見えて当然。外の人は「成長する市場でもっと稼いでほしい」と思うだろうし、中で働いている側も「もっと稼ぎたい」と考えるはず。そう思うのは自然な流れ。

でも、成長する市場に参加したものの、みんなもそう思って参加してくるでしょうから、それなりに過当競争だったりします。証券会社の決算を見ても日本より成長性の高いアジア市場で黒字を挙げている会社ってそんなにいないみたいです。「業者の成長率(参加率)」が市場の成長率以上であれば「供給過多」になるってことですから。

それはそうとして、或いは、かくたる国内消耗戦を続けるかどうかの経営判断は現場の実務者におまかせすることにして、果たして過当競争は悪なのか?について今一度論点をまとめておきたいと考えます。

少なくとも競争は創意工夫や進歩、改善といった良いベクトルへの原動力となると考えられます。逆に競争がないと切磋琢磨も生じないでしょう。元ソフトバンクホークス王監督が「現状維持は後退だ」と喝破なさっておりますが、まさに競争不在だと現状維持に甘んじる可能性が高まる。その意味で、競争するのはいいことのような気がします。

もうひとつ。東京に進出してくるサービス業の中に、元々、大阪とか広島とか北海道といった「より狭い商圏での過当競争」で予選を勝ち抜いてきた企業が多い。例えば、ユニクロは広島だし、ニトリは北海道・東北が地盤であり、それらの地域ではお世辞にも東京よりも消費需要が多いとはいえないでしょう。むしろ、ビジネスで成功するには新たな需要喚起から入らなければならなかったかもしれないと推察されます。また、多くの専門店外食も発祥が福岡だったり大阪だったり名古屋だったりと、(東京に在住するのでそう思うバイアスがあるのかもしれませんが)東京発って案外少ない印象です。

察するに、「小さい商圏、或いは、商圏のないような環境」で「なんとか需要を喚起しながらやってきた」というプロセスが優良企業の芽を育てるための必要条件なのかもしれないと感じます。そうしたプロセスを経た「商魂」があれば、より需要の多い東京での商売なんていとも簡単でしょう。まあ勝手な想像ですが。

西武ライオンズなどで活躍した清原選手によれば「甲子園での一回戦よりも、大阪地区予選の決勝戦の方がきつかった」そうです。それもそのはず大阪では優勝候補と称される強豪があまたあり、他の地区に比べてもそのハードルは高かったはず。選挙で言えば「一票の格差」みたいなものでしょう。大阪地区での予選通過の「一勝」は、他の地区での予選通過の一勝よりも価値が高そうですね。ですから「一勝の格差」とでも呼ぶべきかもしれません。ここでもやはり強豪とのせめぎ合いというのがベースにあります。競争は腕に磨きをかける研磨剤と言えるでしょう。

逆に、一社独占のような「ゆるく」て「ゆとり」のある場所では競争がない故に、ぬるま湯に使った状態になりますね。そんな中で何か先端的な発想や思想が生まれるんかな?と思います。

例を挙げれば、東電など電力業界、或いはメガバンクなどの金融業界などは長らく裁量行政の庇護下にあったので、ダメージコントロール術や問題解決能力といった企業体としての「ここぞの胆力」が高いとは到底言い難い感じがします。メガバンクなんぞはせっかく合併して競合の数が減り、世界に打って出るのかと思いきやなんだか相変わらずの横並びと前例踏襲のクセが抜けず、モジモジしています。加えて内部調整に手間取ったりして・・・。韓国企業と比べても彼此の差はデカイ。

ここで実体験を申し上げます。百貨店の三越伊勢丹が合併してはや2年くらい経過しますが、合併後に感づいたことがあります。両百貨店ともに年2回「紳士服の催事セール」を実施するんですが、同じメーカーの同じ商品が、三越伊勢丹の双方で登場することがありました。

統合前の販売価格は、三越で10,000円、伊勢丹では12,600円でした。ところが、統合後になると、三越でも伊勢丹でも12,600円で販売されていました。結局、販売価格の「高い方」に一致してしまったんですね。三越伊勢丹とで競争していた時代は終わり、競争が緩和された結果、事実上の「値上げ」が起きたというわけ。百貨店も営利主体ですから値上げには理解できます。が、消費者の為にはならないし、競争がなくなるとは「こうなることなのだ」という例として書き留めておくことにします。

前述のような小売販売の場合、小売店うしの競争の他に、そこに卸売りをするメーカーどうしの競争もあります。例えば、セブンイレブンの陳列棚に乗せてもらう為、PB商品が台頭する中、メーカー各社は値段を抑えたりなどの工夫をするでしょう。他方、デイリーヤマザキという山崎パンというメーカー直営っぽいコンビニがありますが、ここでは山崎パンの製品ばかりがところ狭しと陳列されています。しかも、どうどうの定価(ドン・キホーテ辺りで買う方が安い)。なんのことかお分かりだと思いますが、「陳列棚に乗せてもらう為の競争がないんだろう」ということです。

メーカー直営の小売であれば「そのメーカーの商品をどこよりも安く提供できる」というメリットをフルに活用すればいいと思うのですが、実際はその逆。取引が排他的になり競争がなくなる分だけ「価格は割高に均衡する」ようですね。その結果、販売が伸びず苦戦。でも、メーカー側ではどうしても稼働率を挙げないと製造原価がアップして苦しくなってしまいますから、稼動率維持のために他の小売とも取引したくなる誘引にかられます。その結果、自社販売網よりも安い値段で「商品を流す」。そうすると系列の小売はもっと苦しくなる。支配関係があって競争が不在の「小売と製造の関係」は「釣った“魚(小売)”には“えさ(値引き)”をあげない」がごとくになり、互いをだめにするんです。

ですから、冒頭にも記した過当競争は悪なのか?ですが、競争は切磋琢磨に繋がると言う点。加えて、その逆命題として「競争緩和は善なのか?」についても上記のようによくよく勘案すると、競争緩和は「ゆとり」とか「甘やかし」に通じる恐れがあるので、あまり善とは言えないという点。

その2点からみて、過当競争は必ずしも悪とは言えない。

というのが私の結論です。

※蛇足ですが、過当競争に陥るのは「限られたパイ」という経営資源の枯渇も発生原因のひとつでしょうが、冒頭でも申したように「成長するパイ」の中でも起こりうる。ですから、パイが成長する・しないという「経営環境のせい」は別の何か、例えば差別化、といったことが十分に図れていないといったことの影響の方が大きいような気がするのです。

似たようなデザインで似たような機能で似たような利便性で似たような値段で似たようなマーケティングで似たように売る、というのでは没個性甚だしく、自社製品が「派遣社員」のような扱いを受けるのは必定でしょう。

或いは、枝葉末節的な重箱の隅っこをいじるようなマニアックな機能を付加するのに、意気込んで励んでみたものの、細かすぎて伝わらず「なんのこっちゃ」で終わる恐れがあります。

前者は「没個性の派遣社員型」、後者は「マニアック方面に意気込み過ぎて空回り型」であり、差別化の失敗例です。