もやしとビッドコイン

「もやし」の値段は下がり続け、「ビッドコイン」の値段は下がり続ける、この現象は何によって説明され、どのような解釈が妥当なのだろうか?

「もやし」に似た性質のモノは他にもある。例えば、卵、牛乳、ティッシュペーパー、豆腐、納豆といった食材だ。これらはコンシューマー・ステープル(必需消費財)と呼ばれるが、これらは中でも「とりわけ差別化の難しい(差別化を図ろうとしても消費者に定着しない、受け入れてもらいにくい)」部類のモノだ。ありきたりといえばありきたりの食材で、入手がさほど困難でもない。これらを「もやし類」と呼ぶことにする。

とはいえ、「もやし類」にも材料費や人件費など生産コストがかかる。一方、小売販売の現場ではそれらの生産コストを反映するどころか、生産コストを著しく下回る価格でしばしば販売される。更には、店頭での「目玉品」「出血品」として扱われることも多いようだ。

こうした現象は、生産者の問題というより、小売業者の問題のように思える。小売業者間の競争が過当気味だと、常に高い集客力を維持するような販売戦略を練らなくてはいけない。そして「もやし類」はそのための宣伝広告の役目を担うことがある。

つまり、生産コストを下回る「目玉価格」のための原資は小売業者にとって「宣伝広告費」なのである。そう考えると、小売業者はもやし類の生産者に「宣伝広告費」を払っていると理解できる。

その上、小売販売の過当競争が恒常的な集客チキンゲームに繋がっているため、「もやし類」の店頭価格が一向に上昇しない。むしろ、小売販売での消耗合戦の犠牲、もしくはしわ寄せの象徴なのがもやしなのだ。

「ビッドコイン」はそもそも消費財ではない。貨幣に似た性格のモノだ。その意味で貴金属などとの類似性が支持される。貴金属の場合、希少性が大事になってくるが、ビッドコインにも希少性があるようだ(いまのところ)。それ以上に、ビッドコインには様々なギミックが存在する。ギミックとしては、デジタル通貨、匿名での越境送金、中央銀行のマネーのような緩和措置がないといったところか。

ギミックの存在はそのモノの価値大きく扇動することがある。ビッドコイン以外では、かつてのインターネットやゲノム解析、現在ならビックデータ、AIなどだろうか。これらを「ギミック類」と呼ぶとすると、ギミック類では「いつも、必ず」カスケードが起きるわけではない。少なくともゲノムの場合は「特許」という理解しやすいギミックがあった。AIでは「生産性革命」という心理的フックがある。

つまり、フックやギミックの意味合いが広く周知に理解されたり重視されると人気化する。そして、ギミックが人気とリンクすると耳目を集め、耳目が耳目を呼ぶ(今回のAIブームでは「アルファGO」がトリガーのように感じる)。

「もやし類」には残念ながらギミックがない。「食べて終わり」「消費して終わり」だ。一方、AIやビックデーターには目下次々とギミックが創造されつつある。ギミックの分だけ、将来への夢のような期待のようなものが一種のレバレッジとして働く。それらは幻想と化すまで膨らみ続けるのだ。