自首するタイミング

一部では「オリパンス・ショック」と呼称する向きもあるようだが、如何なる大規模な不祥事の露呈でも、最初に「自首」すれば相対的に軽微で済んだはずだ。すると「自首するタイミング」というのは内外に与えるインパクトの兼ね合いでみても重要になってこよう。

前回の「ウソ」と関連付けて書けば、「ウソ行為」が直感脳や本能といった脳の原始的な情動部位に根付いている行為であると言う可能性があると述べたが、それに比べて「自首行為」はかなり認知脳や思考能(或いは熟慮脳)といった脳のヒト的な部位と深い関係がありそうだ。

報酬系」と言われる脳内の機能から見ても、「ウソ」は往々にして「一時の“恥しのぎ”という得になるが長い目で見れば損」であるにも拘らず、直感脳の働きは基本的に“朝三暮四”的ゆえに、直感脳の支配が優勢の状況(例えば、ストレスやプレッシャーを受けているなど)では、ついつい目先の損得の罠に嵌る。

反面、「自首」とは「一時の恥を忍んで、長期の名誉挽回や汚名返上を行う」行為だ。恐らく、長期で見た「風評リターン」はこちらの方が高いと思われる。近視眼ではない判断は認知脳の働きに因る部分が大きい。したがって、直感脳の“朝三暮四な衝動”を抑制して冷静な思考脳に従って判断するのが「自首行為」のような気がする。

直感脳と熟慮脳いずれの働きが優勢支配しているかについては、生来的・先天的・遺伝的な側面と、状況依存的・時と場合による・臨機的に変化するという側面とがあるそうだ。例えば、ストレスやプレッシャーといったものは同じヒトであってもその人の通常時のレベルよりも直感脳支配割合を高めてしまうというのだ(その結果、ダメな判断に繋がる)。

何事もリラックスしていないと良い判断、良い意思決定ができず、またそれらを通じ、良い結果というのも得られないということだ。

さて、冒頭の「自首のタイミング」である。こういうのは、犯罪行為とか交通事故での「ひき逃げ」と同様で、初めに「逃げてしまう」と自首するせっかくの絶好タイミングを逸してしまうと思う。「一歩」でも逃げれば“五十歩百歩”の故事成語が示すとおり、逃げた歩幅や歩数という程度よりも、逃げた行為そのものという動機や意思の方が問題視されるからだ。逃げた方も逃げた負い目が邪魔をして自首し難くもなろう。

すると、一旦逃げたら「悪質な行為」に手を染めた「負い目」や「後ろめたさ」が自首を遠ざける。「いまさら許してもらえるはずがない」ということになり、逃げ続けるしかなくなる。

そして逃げれば逃げるほど妙な犯罪利得感が増すし、それが経済学で言う「サンク・コスト」的に機能する。

サンク・コストとは、現実に失敗した赤字事業について損失の確定化・顕在化・表面化を嫌がって延々と続けることだ。

「今やめて清算したら、いままでの投資が本当に全部パーになるが、なんとか続けていれさえすれば、少なくともパーにはならないで済む。いずれ黒字化すれば取り返すこともできる」という心理的バイアスだ。犯罪でも逃げれば逃げるほど「逃げ得」のような気がしてくるし、自首すればそれらが一挙にチャラになるので、逃げた手間暇の分だけサンクコストが増す。その結果、ますます自首から遠ざかる。

そんな感じのことがオリンパス内部でもあったのだろうし、今尚、内部にそうした問題を抱えている組織が上場企業に存在していても不思議はない。

何らかの初動ミスで自首するタイミングを失った企業について、自首を促すインセンティブを持たせられないだろうか?厳罰化は「これからのこと」には利くが、「既に抱えている問題」についてはむしろ隠す動機を強めてしまう。

「怒らないから正直に話してみようね」

という方策はとれないものだろうか。