壁と橋

十年以上前に「バカの壁」という本がベストセラーとなった。「バカ」とは"人間どうしが互いに理解できない、疎通できない局面"を表す。「壁」とは“コミュニケーションの障壁”のことだ。つまり、“互いにコミュニケーションができない何らかの要因”がバカの壁である。

この場合、「バカ」は特定の人物の知的特徴量を意味するのではなく、ちょうど喧嘩のように双方にとってお互いが敵どうしになるといった状態を意味する。したがって、バカの壁が成立している間柄では、互いに相手方が「バカ」に映ることとなる。この場合、どちらが本当のバカなのかを問うことはあまり意味がなく、喧嘩両成敗があるように「バカの壁両成敗」に従う。つまり、両者とも等しくバカが成立しているわけだ。

バカの壁が「コミュ障壁」の全体を示すとするならば、もう少し細かい要因分解が可能になろう。例えば、日本語と英語といった「言葉の壁」がバカの壁の一翼を担っているとか、「経験の壁」が相互理解の妨げになっているといった具合にだ。他にも、文化、性差、知識、スキル、好き嫌い、などもバカの壁の成分になろう。

そうした、壁に対して「ブリッジ(橋)」という概念がある。これは、相互理解の橋渡しを意味する。上手な「補助線」が、理解の助けになることがある。しばしば「うまい譬え(アナロジー、メタファー、レトリック)」が補助になることがある。或いは、具体例を示すことでイメージが掴めたりすることもあろう。これらはブリッジになる。

ヒトのコミュ力は認知的、感情的、言語的に規定されているので、そうしたパーテイションをブリッジで補っていくことになる。現在、AI翻訳などが登場しているが、これは言語の壁を補うブリッジなろう。今後、AIが様々な分野でのブリッジになることが期待される。