「プロ・シクリカル装置」としての時価会計と格付け依存とバーセルⅢ

IFRSとかバーゼルⅢといった国際的な視野での企業会計制度や金融資本規制に対する改革論が盛んだが、そうした議論の中で(特に資本規制で)たびたび潜在的且つ構造的な問題点として「プロ・シクリカル性」というのがある。

プロ・シクリカル(pro-cyclical)性とは、それとよく似た概念でスパイラル性というのがあるが、単純に言えば「変動幅とか振幅(ブレ)の増大化を内因的に持ち合わせている性質」、いわば自己増幅作用のことだ。

スパイラルとは直訳すれば「らせん」となるが、用例として「デフレ・スパイラル」がある。これは「物価の下落(デフレ)」が企業収益を圧迫し、賃金低下や失業率上昇を加速させ、その結果「消費が低迷する」ことで、更に「デフレ」を助長させると言う現象である。つまり、起きた結果がその原因に転化することで、循環参照的なループが生じてしまって「泥沼化」若しくは「アリ地獄化」する様子がスパイラルだ。そうなると、ちょうど動輪がぬかるみにはまってしまった自動車のように自立的な脱出が困難になる。

プロ・シクリカルはスパイラルに比べて自己反復作用(ループ)的なニュアンスがない分やや軽度なイメージだ。

さて、ここからプロ・シクリカルについてである。

金融機関の場合、資本規制によって、貸出残高に比して内部留保資本を「バッファー(貸し倒れに備えるクッション)」として準備していないといけない。その「準備率」をいくらにするべきなのかについて議論しているのがバーゼルⅢだ。リーマンショック後、金融では綱紀粛正の機運の台頭から、準備率を高めようとする向きがある。まずこれを念頭におこう。

一般論として、景気が良いときは各種資産の「流動性(換金性)」に問題は生じないし、「準備率が一定」でも「資産価格の上昇」のおかげで、金融機関の貸出余力は増す。金融機関の貸出余力が増せば、世の中の信用(クレジット)は増し、レバレッジも上昇する。他方、景気が悪いときは資産の「流動性(換金性)」に難が出るので、それに見合って「資産価格は下落」することになる。それに伴って金融機関の貸出余力は低下するが、一応「資本バッファー」があるので、通常の景気振幅内であればクレジット・クランチ(信用危機)起きない。

が、今回のように流動性が枯渇し、資産価格が著しく低下してしまうと、資本バッファーが枯渇すると、本来なら金融システムやインフラの提供者であり同時に流動性の供給者である銀行が「流動性の需要者」に変じてしまって危機になる。

その際、金融商品時価会計という制度が「第一義のプロ・シクリカル性」を発揮する。あらゆる「時価」が下がることで資産サイド並びに資本サイドが両方が毀損され、更なる危機を生むからだ。例えば、保有している債権や国債の価値が下がれば、減損しなくてはいけない。他方、資本の方も同時に毀損若しくは調達困難な状況に直面していればダブルパンチだ。

そうすると、時価会計には「投資家に対する適切な情報開示」と言う点で見れば良い点もある反面、プロ・シクリカル性という副作用もあるとうことになる。

更に、「格付け」が「第ニ義のプロ・シクリカル性」を高める。景気が悪化して実体経済の活動が弱まれば、当然、企業の収益力は低下する。デフォルトとは「貸した金が約束どおり返ってこない」ことゆえ、不景気のときは当然そのリスクは高まる。それは別に敢えて格付け機関なる外部第三者に言われるまでもない。でも、彼らが声高に「格下げ」を表明することでセンチメントは益々悪化する。そうすると各方面でリスクポジションの手仕舞いといった萎縮が起きる。いわゆる「リスク・オフ」の状態だ。こうして、格付け機関による格下げもプロ・シクリカル性の増幅装置足りうる。

もっとも、お手盛りを避け客観的なロジックに基づいた意見というのは大事なのだが、格付け機関の意見がそれに相当するのかどうかについて近年疑わしさが増した。それは、格付け機関の利益排反性だ。格付けの対象者から「金品」ならぬ格付け報酬を受け取って、格付けという「お墨付き」を与えるビジネスモデルである以上、どうしてもバイアスがかかるのではないかと言う点で排反性がある。

テレビなどメディアでも、スポンサー企業の不祥事やキャンダルを大々的にニュースで取り上げるのをためらうように、スポンサーのご機嫌を損ねるようなまねは格付け機関も避けるだろう。

ということを考えると、格付け機関のご意見は中立性という点でも甚だ疑問が残るのだが、市場参加者の視聴習慣に深く刻み込まれてしまっているせいか、隠然たるチカラが残っている。8月の「米国の格下げ」は大騒動と化した。また、欧州金融化基金(EFSF)の発行する債券の後ろ盾はドイツやフランスなど「最上位格付け国の保証」ということであり、ここでも「最上位格付け」ということで「一介の民間格付け会社の意見」が制度上の担保になってしまっている。こんなでよいのか?という気がするが、事実上格付けが「制度上のプロ・シクリカル性」を握っているのだ。

最後に、バーゼルⅢで議論されている中核自己資本(コアTier1)の拡充である。これは、冒頭で記した準備資本(バッファー)強化の話だ。ずばり、これは金融機関の貸し渋り貸し剥がしという実力行使を通じてプロ・シクリカルに機能しよう。これが「第三義のプロ・シクリカル性」である。

準備率を上げることは即刻、金融機関のレバレッジ比率を下げさせる効果があり、不景気時これを実行すると金融機関による融資の厳格化を招きやすい。その結果、企業の不況型倒産が増えてしまって、ますます不良債権が増える。不良債権が増えれば金融機関はますます予貸レバレッジを下げ、貸出審査の厳格化し、すると倒産が増え・・・というようにスパイラル化しやすい。

したがって、不況下ではむしろ準備率を下げる方が「カウンター・シクリカル性」(増幅を抑制する内生的性質)が高まり全体最適性がアップするのではという意見もある。ちょうど、振り子のように釣り合いの位置である中心(均衡)から乖離すれば、元の中心(均衡)に戻ろうとするチカラが自然と働くといった具合にである。これによって安定的な釣り合いが保てるということだ。

一方、不景気時に自己資本比率内部留保準備率を上げると「金融機関の資本バッファーを上げる」という部分最適は一時的に達成されるが、その後の反作用(不良債権増加)が強化したバッファーを帳消しにしてしまって、結局元の木阿弥と化す恐れがある。所謂「いたちごっこ」となるので経済的な釣り合いを保ち、安定化を図りにくい可能性がある。

サーカスでピエロがボールの上に乗っかってバランスを取る動作を想像して欲しい。この場合、釣り合いの位置(均衡)から少しでも外れると、ますますそこから外れようとするチカラが自然と働く。したがって、常にバランスするためには外部からの意図的な作用が必要であり、常に緊張に晒される。こうした均衡では安定は永遠に望めない。景気時に自己資本比率内部留保準備率を上げれば、こうした「サーカス・ピエロ」な状態になるのではないかということだ。

それにも関わらずバーゼルⅢで自己資本規制を強化しようとするのはなぜか。それはどうやらテールリスクに対する備えのためらしい。テールリスクとは「滅多に起きないが、起きた場合、死活的ダメージを被る」ようなリスクのことだ。リーマンショックのときに、グリーンスパンFRB理事長が「百年に一度の危機」と発言したのは記憶に新しい。そうした百年に一度のレベルに対して備えたいということのようなのだ。

しかしながら、自己資本比率内部留保準備率を上げるといっても、5%だの10%だのといったレベルの話である。例えば、テールリスクを未然に防ぐといった予防的な効果ならまだしも、統計確率的に極めて小さいはずの死活リスクが顕在化したような局面で「高々数%のオーダー」の資本バッファーで予後がカバーできる訳がない。つまり、テールリスクの備えとした見た場合、自己資本比率規制は何の役に立たないのだ。

むしろ、目的(アンチ・テールリスク)と手段(自己資本比率規制)とがずれている感がある中で、プロ・シクリカル性による被害ばかりを増幅させているように見える。

このように欧州では
1.時価会計
2.格付け
3.資本規制
という3つの複合的プロ・シクリカル的な圧迫を被っており、スパイラルの入り口にいるように思える。