「ウィンブルドン」にもなれない日本

だいぶ前(10年から15年前くらい)「ウィンブルドン化」とか)「ウィンブルドン現象」というフレーズが流行った。ちなみに、ウィンブルドンとはテニスの4大国際大会のひとつである英ウィンブルドン選手権のことだ。お仕事で経済について触れる機会のある方にとっては、なじみのある言葉だろう。いわゆる「自由競争による淘汰」ということと「それによって市場が活性化する」という自由経済で生じる二つの面の事象を表す言葉だ。

ただし、「ウィンブルドン現象」そのものは義務教育での学習範囲を逸脱した内容なのでここで補足しておく。

ウィンブルドン選手権は英国で開催される権威あるテニスの国際大会だが、そこで活躍する選手たちの大半は地元英国人ではなく「外国人」であることから転じて、経済活動でも自由競争による淘汰によって自国企業が衰退して外資系企業が活躍することが大いにあろうという一方、開催場としての権威などは受け継がれると同時に、腕に覚えのある参加者が次々参戦するだめ市場全体として活性化するので、総じて繁栄するというニュアンスが)「ウィンブルドン化現象」だ。

大相撲でも外国人力士が増えた反面、その力士の出生地での視聴者が増えたはずであり、日本人にとってすれば寂しい感じがする一方、興行としての「大相撲」は成功する・・・そんなイメージだ(ここに来て八百長など不祥事が多いが)。

頂上を目指し数多くの選手が参加するというのが、マーケットの活力維持の原動力であり活気の源泉だ。ちょうど10年位前、外資系金融機関の台頭が著しい頃、日系金融機関との彼此れの勢いの差から「金融ウィンブルドン化」が叫ばれた。論調としては、金融ウィンブルドン化をあまり歓迎する向きではなかったと記憶している。「このままだと、ウィンブルドンみたいになっちゃうゾ」といった感じの論説だった。

10年を経てそれは「どうやらこのままだとウィンブルドンにすらなれないゾ」という違った憂いに変質したようだ。東証大証の合併然り、どうみてもウィンブルドン化ではなく斜陽化・空洞化している。シンガポール、香港、韓国などと比べても圧倒的に何かが足りていない。バイタリティ、モチベーション、パッション、スピード感、リスクテイク力、ガッツ、トライアル・アンド・エラー(試行錯誤)、リベンジ、ハングリー精神、上昇志向、といったすべてにおいて倍以上の差を感じる。

これではウィンブルドンにすらなれないで過疎化が進むだけだ。それが最もリスキーなことだろう。