神経・行動経済の洋書を紹介

本書はちょうど1年半前くらい(2010年春ごろ)にリリースされたようである。この本を通じて原著者は、「投資で大事なのはプランとルーティン、ダメなのは思い付きと行き当たりばったり」という至極単純なことを語るために16章を割いているが、現実世界において単純なことほど実は極めるのが困難だったりする。例えば、ゴルフでもそうだろう。「止まったボールを打つ」などという単純な動作をマスターすることが如何に難しいか。
 スポーツ界などでは「スキル(技術・技能)の問題」と長らく考えられてきたことが実はマインド(精神)やメンタル(心理)の問題であったということが最近多い。気の迷いとか自信喪失といったことが、従来考えられていた以上に高いウエイトを占めているが判明しつつある。また、歯科治療でも「心療歯科」という分野があるそうだ。そこでは、口腔内での物理的な作業や外科的な処置を一切せず、患者の歯痛を治すために「患者の話を聞くだけの歯科治療」という、今までの常識を覆すような治療法がある。
 投資の世界においても、上記のような流れに似たような流れがまさに続いていると思われるし、今後もアップデートが出てくるであろう(脳とか神経に関するテーマがまさにそうだと思う)。
 一般論として、投資や相場を対峙する上で多くの本では「マクロ経済、ミクロ財務、ビジネス・ファンダメンタル、あるいは罫線分析といったことに対する造詣・知識・分析」が“いの一番”に語られる。それに対して、本書は知識や分析云々よりも、まず「心療」から入っている上に、そうした心療面の重要性を広く周知させるのに一役買いそうな雰囲気がある。

【各章ごとの要約】
原著のライブ感を損なわないよう最大限に配慮しながら、各章ごとの題名を邦訳し、大意を書いたので以下にご案内する。

1章.思わず、つい・・・(In the Heat of the Moment)
 
 後から振り返って拙かったと思う判断は外部刺激に対して過敏になり「思わず、つい」してしまったことが殆どだ。例えば、空腹時に食品売り場で買い物するとついつい買い過ぎる・・といった具合にだ。この場合でも事前に買い物リストなどを準備しておくなど、冷静時における計画が後の間違いを回避するのに役立つ。投資でも同様に、勇気を持って飛び込む前に準備すべきことがある。何事においても結果は平時での準備という「転ばぬ先の杖」次第なのだ。



2章.急落局面で思わずしり込みするのは一体誰?(Who’s Afraid of the Big Bad Market?)
 
 「火事だ!」と聞けば誰しもが青ざめ、全員が出口に殺到するだろう。相場でも「大火事」になると参加者の行動が一方的になりやすい。みんな我先と脱出を急ぐからだ。そうしたとっさ場面では脳内において反射系統(反射を意味する英語reflexiveの綴り内にある"x"を用いて、以下Xシステムと呼ぶ)という部位の働きが盛んになるが、Xシステムは判断が早いがそそっかしいのだ。脳内では思慮系統(思慮を意味する英語reflectiveの綴り内にある"c"を用いて、以下Cシステムと呼ぶ)という論理的だが判断に時間を要する部位もあり、通常時ではXシステムとCシステムとのダブルチェック体制によって意思決定がなされる。が、緊急時ではXシステムの判断が事実上ノーチェックで実行に移されてしまう。つまり、Cシステムによるチェックを伴わない判断が下されるようなときがあるのだ、そのようなときの状況を利用しない手はない。実際、冷静に見て同じ会社の株が「見切り品価格」で売られていると判断されるのであれば、コストを掛けずにビジネスを買うことができる幾度とないチャンスとなるからである。ファンダメンタル的なゲームプランに大きな変更がないのであれば、Xシステムでの判断による「下げ」にお付き合いして株を処分するのではなく、Cシステムでの判断を優先しむしろ「めったにお目にかかれない値段」で買った方が良いのだ。




3章.脳天気過ぎるのも困りもの(Always Look on the Bright Side of Life)
 
他方、人というのは生来楽観的だそうだ。好況がしばし続くと人はそれの持続性を過剰視にするきらいがある。良いこと継続を信じて疑わなくなると次第にその現象をうまく説明する演繹的な方程式が登場し、人はますます確信する。最終的には「もっともらしい成功方程式」の理解者の数が爆発的に増え、半ばあたりまえのルールであるといわんばかりになる。こうしてバブルが醸成されるのだが、盲目的な信者が群集となって押し寄せるときこそ「売り時」なのだ。もうそこにはそれ以上の追加的買い手が枯渇しているからである。


4章.専門家を過信するな!(Why Does Anyone Listen to These Guys?)
 
 専門家もパーフェクトではない。金融市場に関する知識が常人よりも豊富であるからといっても、そうした「リッチな知識」は彼ら自信の自信過剰さ加減を強化するだけで、残念ならが彼らの持つ予測力の強化にはなんら結びついていない。専門家は「知識の呪い」にかかっている分だけ、自らの見解が間違った場合でも容易に豹変できず、判断の過信と絵空事いう迷惑な「置き土産」を残す。


5章.来年のことを言うと鬼が笑う(The Folly of Forecasting)
 
 将来を予見できる人など存在しないのだが、かなりの人がそうしようとがんばる。申し上げにくいことだが、将来の動向を占う上で過去の結果は何のあて力にもならない。最大限できることといえば、将来どうなるか云々ではなく「ただいま自分たちはどこにいるのか?」と見決めることくらいである。冒頭章でも申したように計画さえしっかりしていれば予測などという余計な「世迷言」なんぞは不要なのである。


6章.情報過多による「分析・判断失調症群」(Information Overload)
 
 ネットの発達によって入手可能な情報が爆発的に増えた。このこと自体すばらしいことのように思えるが、実は全然そうでもなかったりする。「データの樹海」という深い茂みに入り込んでしまって、人は迷子になっているからだ。“アナリシス・パラリシス”と言う「分析失調症」というべき言葉が示唆するとおり、きちんと分析を終え「データ樹海」から出るまでアクションが取れないというジレンマに陥っているケースが大半だ。何事でもそうだが細かく分析すればするほど「細かすぎて他人に伝わらないリスク」が増すが、自分自身に対してもそれが起きてしまっている。


7章.“故意の空騒ぎ”を視聴しない(Turn Off That Bubblevision)
 
 多くの人は些細な上下であっても、株価の一挙一動にのめり込み何らかの意味を見出そうとする強迫観念に駆られている。例えば、CNBC金融経済ニュースに噛り付いて「本日、株式市場の0.05%上げた意味」を探ろうとする。お気を悪くなさらないで聞いてほしいのだが、こうした強迫観念は些細な動きに対して只々神経過敏になるだけで、精神衛生上、大変よろしくない。またニュース番組でのニュースの大半は切迫調という添加物が混入されている「ニュース製品」であるため、“故意の空騒ぎ”を招いたり、そもそも“ニュース中毒”のような症状を起こしたりと「あなたの投資判断上の健康に重大な害や悪影響を及ぼすリスクがあります」。


8章.見ざる、言わざる、そして着飾るのもダメ(See No Evil, Hear No Evil)
 
 人はたいてい自らの下した決定の確証を探したがるものだ。また、自らの判断が覆されるような逆説的な意見は好まない。こうした現象を認知的不協和と呼ぶが、これは投資を行う上で最も避けるべき行為だ。むしろ、耳障りな逆説的な意見に積極的に耳を傾けよう。心地よい意見や自分を支持する内容などは「見ざる、言わざる、ましてや、それを着飾って安心するなどというのは絶対ダメ」なのだ。


9章.人生山あり谷あり、相場も山あり谷あり(In the Land of the Perma-Bear and the Perma-Bull)
 
 人々は「万年ブル派」と「万年ベア派」という具合に、まるで共和党派・民主党派と政党を支持するが如く、株式市場の動向について強固な“万年支持政党”を持っている。当たり前だが、こうした万年派のどちらも正しくないし、今までどちらも成功者として名乗りを上げてはいないのだ。どんな市場も山あり谷ありなのに、山側か谷側か片方にだけ肩入れするという姿勢そのものがそもそも間違っているのだ。




10章.妖精セイレーンの歌声(The Siren Song of Stories)
 
 妖精セイレーンのセクシーな歌声に航海者たちが魅了されたように、株式市場のセクシーなストーリーも投資家を魅了する。ランダムの中から何がしかのパターンを見出し、それに磨きを掛け、ストーリーをお供に従えて多くに人を幻惑するのだ。厄介なのは見出した至極もっともらしいパターンやシグナルとやらは偶然の産物以上の代物ではないということなのである。ストーリの語るビッグ・ピクチャーも最終的には「ぬか喜び」で終わる運命なのだ。


11章.今度ばかりは別か?(This Time Is Different)
 
 バブルの起きない市場は無いし、崩壊しないバブルも無い。でも毎度のことだがバブルでは狂ったようにみなが殺到する。そうした場合、常に聞こえてくるのは「今回の相場はいままでとは異なる」という決まり文句だ。はっきり言おう、「いままでとは異なる」が本当にそうなったことはない。でもみんなそれを信じ、それにあやかってリッチになろうとする。そして遂に誰も買い手がいなくなったとき、つまり何十年分もの先の分まで価格に反映された後、大暴落が始まる。そして、それらを避けるためには、単に路肩で休んでいればよいだけだ。

12章.「自分に甘く、他人に厳しい」(Right for the Wrong Reason, or Wrong for the Right Reason)

 先にも述べたが、我々の「こじつけ癖」は都合の良いストーリー(誇大妄想)を生み出す。この性癖は同時に我々の楽観(希望的観測)と結びついてしまうのだが、もともとこうしたあいまいな「いわしのあたま」をあて力にしているくせに、実際にうまくいったら自分の能力によるお手柄としてカウントし一方、しくじった場合は他人のせいや運の悪さなどを理由にする。このように我々の脳は「自分に甘く、他人に厳しい」という身勝手で理不尽な見解をも醸成する傾向がある。この際、少々厳しく申し上げるが、うまくいったのもいかなかったのも自分のせいなのだ。そして、うまくいかなたったことから学ぶというのが大事なのである。





13章.ADHD(注意欠陥過活動性)投資の危険性(The Perils of ADHD Investing)
 
 市場には「誘惑」が多い。何かしらニュースを耳にすると、直ぐにでも売買を実行したくなる。こうした売買を「スナップ写真」ならぬ「スナップ売買」と呼ぶことにしよう。そして、スナップ売買は言わば「ADHD(注意欠陥過活動性)」の近縁の一種だと言える。証券会社のためにはなるが、自分には一文の得にもならないということを肝に銘じよう。何度も申し上げて恐縮だが、冷静なときの計画が大事。ちょっとしたニュースで突発的な行動をやみくもに起こすのはやめよう。昔から「大山鳴動して鼠一匹」と言うではないか。
14章.レミング的群集心理の内側(Inside the Mind of a Lemming)
 
 幾千万の多勢が右に進む状況で一人だけ左に進むのは難中難の行だろう。ただ、人々がレミングの大群のように一方向に進むような場面に出くわしたら、そのうちの一人にこう尋ねてみるとよい「あなたはどこへ行くのか?」。果たして回答はいかに?もし「さあ、前の人に聞いてくれ、私はみんなが行くのに付いていっているでだけさ」と言われたら、あなたは列に加わるのを思い止めよう。「情報に基づかない人々」の進む群れほど危険なものは無いからだ。あなたは「情報に基づいて」行動しさえすればよい。


15章.投資する前に心得るべきこと(You Gotta Know When to Fold Them)
 
 投資をスタートする前に済ますべきことがあると私が言ったことを今一度思い出そう、そして「すべきこと」の大きなひとつに「どんなとき退却するか」がある。何事にも許容限度があるように、投資にも許容限度がある。始める前に確認しよう「あなたはどのくらいの価格変動まで耐えられるか」また「どのくらいの大きさの金額ロスまで耐えられるか」などだ。そしてそうした取り決めに対して一貫した姿勢を貫こう。その時々で沸く感情に左右されないために。


16章.どぎまぎせず、冷静に対処し遂行せよ(Process, Process, Process)
 
 いろいろと申し上げたが、それらを総合してみよう。まず、周囲に同調せず周りの世界を常に静かに調査・分析することを心がけよう、そしてもっとも大事なことは投資の意思決定から「人間くさい部分」を取り除く度量や努力を怠らないことだ。方法や計画が出来上がったら、或いは、アイデアの改良が済んだら、それを「ロボットのように」忠実に実行するのだ。事あるごとにイライラしたり、他人のすることをいちいち気にするのはやめよう。