組織が変われない理由

あらゆる組織に言えることだと思うのだが、「組織が自らの内部的な力によって“変われない(変わることが難しい)”大きな理由は、変わると都合の悪い人が案外大勢いる」ということに尽きる。所属員達はそれまでに培われた方法・習慣・文化・善悪などの内部規範に慣れ親しんでおり、それが変わるなんて余計なことと感じるだろう。はっきりいって邪魔だ。

「変わることがおっくうに感じる」なんて向上心の無さの現われだという厳しい意見もあろう。が、よくよく酌量・斟酌してみると向上心の有無とは関係なく「変革は面倒くさい」ものだ。自分にも当てはまる部分がある。例えば、整理整頓とか「断捨離」などはそれまでの事態の継続性を破る「プチ構造改革」だ。やったほうが良いのも分かっているが、なかなか実行できない。したがって、「わかっちゃいるけど、やめられない」ではないが「わかっちゃいるけど、取り組めない」となりがちだ。最終的には、いよいよやばくなってからしぶしぶ行う。それが人間らしいといえば人間らしいのだが。

もともと歓迎せざる自己変革に「損失」が絡むともっと厄介だ。今までの利権が失われるような変革や改革などは骨抜きにされる。そのままの運営方法ではだとだめだとわかっていても、もし組織の運営方針が切り替わると自己存続の危機に陥るような場合、感情系脳みその報酬系部位(扁桃体)当たりが激しく活動しそうだ。扁桃体は「生理的にやだ」という判断などをする箇所なので融通が利きにくい。もし、ことが望む方に成就されないと「怨念化」する。すなわち、「怨念の温床部位」なのだ。

扁桃体のよって怨念を伴うくらい意固地になってしまうと、改革による長期的なリターンよりも、目先の損得に終始することになる。変わると都合の悪い人はどんな組織にもいると思われるので、そうした人が損得に絡んで抵抗勢力になる。こうしたことに対して内部調整で解決しようとすると、時間ばかり食ってしまって、ウイーン会議乃至は小田原評定と化す。内部関係者だけでは結論が出しにくいのだ。お茶を濁すばかりで、事態はますます悪化する。そんな様子がいたるところで見られるのが今の日本だろう。

企業も国家もあらゆる組織で扁桃体機能が活躍しているような気がする。