先送りする脳2

2011年8月26日のブログに「先送りする脳」について書いたが、今回はその続き。人間は時間的資源に関する“resource slack”(資源の余裕度)を勘案する際、現在から将来に向かってそれらの余裕が増加すると思いがちだということを書いた。そのため「今は忙しいのだが、来週は余裕がある(はず)」「今月は無理だが、来月なら可能(だろう)」という具合に、様々なタスクを「後回しにする」傾向があるそうだ。見方を変えると、タスクに関する"Delay Discount"(遅延割引率)の問題とも言えそうだ。時間的余裕が将来増えると感じる点で言えば、冒頭に書いた“time resource slack”(時間資源余裕度)ということになろう。いずれにせよ、脳は「先送り」する癖を持つとのこと。

そうした「後回し癖」については自分自身でも思い当たる節がある。人との約束などは「今度、今度」と言っているうちに、あっという間に一年が過ぎたり、全然実現しなかったり。そもそも自分自身で「乗り気でない」のかと思う反面、乗り気でないわけでもないものでもなかなか実現しないこともある。

そんなときに“time resource slack”に関するバイアスの問題を聞かされて、なるほどと感じた。また、投資における「益だし、損切り」の意思決定でもこうした先送りの性癖が影響しているのではないかと思いついた。

2011年8月22日の日経新聞のMonday Nikkeiのコーナーでは、久々に行動経済学の話が載っていた。「自分の心理傾向 知って賢く投資」という題名で、株価が乱高下する中、落ち着いて行動しましょうと皆を諭す内容だ。

その中で有名なフレーミング効果の問題が掲載されていた。問題をそのまま拝借すると、

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次のような選択肢があったとき、それぞれの設問でどちらを選ぶ?

【問1】
A=80万円もらえる
B=100万円もらえるが15%の確率でもらえない

【問2】
A=80万円支払う
B=100万円支払うが15%の確率で支払わなくてよい


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いずれの設問でも、選択肢Aでの結果は「確実」で、選択肢Bでは「不確実」だ。

もし人の回答には首尾一貫性があると仮定するならば、問1で結果が確実な選択肢Aを選ぶ人は、問2でも選択肢Aを選ぶだろう。合理的な判断ができる人は、そもそも行動が首尾一貫していそうである。同じ理屈で、問1で結果が不確実な選択肢Bを選ぶ人は、問2でも選択肢Bを選びそうだ。

ところが、こうした事前の仮定とは裏腹に、被験者を集めて実験すると、【問1】ではAを選び、【問2】ではBを選ぶ人が圧倒的に多いのだ。つまり、【問1】のような「利潤の枠組み」の下では確定した利潤を好み、【問2】のような「損失の枠組み」では損失は不確定なままに放置したがるのである。

このことは「期待値の計算によれば・・云々」よりも前に、そもそも人の判断の首尾一貫性に疑問符が付く話である。人の判断が合理的かどうかを議論する前に、少なくともその必要条件であると思われる「判断の一貫性」が成立していないのだ。「一貫性のある判断ができない人が、そもそも合理的である」とは到底思えないし、もしろ、問1のように利益についてを聞かれるか問2のように損失について聞かれるかといった設問の状況に依存して判断がコロコロ変わる可能性を示唆している。

こうした事象を「フレーミング効果」と呼んでいるが、有利(利益的)な内容ではリスクのない方を、不利(損失的)な内容ではリスクのある方を選択するといった、人の判断にはバイアスがある。

言い換えれば、問2のような損失的状況の場合、「損を確定させず、先送りさせている」とも見て取れる。つまり、損には人に先送りする動機を高める可能性があると思うのだ。或いは、フレーミング効果とは先送りバイアスが不利(損失的)な内容で強く発言する様子を示しているのかもしれない。

こうした傾向は、恐らく人類が進化してきた過程で強く形成された生存競争で打ち勝つための機能なのだろう。生存競争では「生命の維持」が最終目標になり、その最終目的達成のための行動目標は「えさの確保」と「外部脅威からの危機回避」と。

進化の過程では狩猟採集による生活が極めて長かったはず。そうした狩猟採集では「えさ」を発見したら即座に確保しないと他者に取られてしまうだろう。反対に、危機の度に潔く死を確定させていたら滅んでしまう。そのため、危機的状況では「じたばた悪あがきする」方が生存状態維持の可能性が残されるのでそちらを選択することになる。これは、長らく動物状態が続いた間に遺伝子レベルで組み込まれたプログラムと思われる。それが、フレーミング効果や先送りといった現象を引き起こしていると推察される。確かめたわけではないので単なる憶測なのだが、恐らくそうなのだろう。

但し、「遺伝的プログラム」だけでは乗り越えられない進化や発展の壁もあっただろう。そのような場合、ときには目先の損害を受け入れて将来の大きなリターンを得ようと言った認知的な動機が人類を人類たらしめてきたのだろう。

例えば、「種をまく」といった行為だ。種籾まで食べしまったら「はい!それまでよ!」だったのだろうが、人類は種をまくことで、サルとは一線を画してきたと考える。人間の認知的な働きは偉大であり、先送り行為などもその傾向が強い人ほど、社会的な地位などが低いことが報告されている。