必要条件と十分条件

必要条件と十分条件…なにやらコムズカシイテーマを持ち出してしまいました。
が、お互いの議論のやり取りとか他人同士の話を傍聴していて「なんとなくかみ合わないなあ」と感じるときがあり、よくよく考えてみると、前提となる立ち位置のズレに起因していたのではと後になって気付くことがあります。これはお客様との折衝でもしばしば登場します。

ビジネスでは結果を求めてアレコレと論説(ロジック)や仮説(アサンプション)などを協議するのですが、それらは大抵「命題化」できます。命題とは「1つの判断を述べた文章や式」のことで「○○ならば××である」という文体で表現できるものを指します。そして、命題は「真(ture)か偽(false)か」をチェックすることが可能。つまり、正しいか正しくないかが定まるものを命題といいます。

そして、命題が正しい(つまり、真)のときに必要条件とか十分条件といった「法則ないしは定理のようなモノ」を認識することができます。

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必要条件とか十分条件について
数学上の定義を書くと、

2つの条件 p,q を用いると,
p ならば q (これをp⇒qと書いたりする)
という命題を作ることが出来ます。(pを仮定,qを結論といいます)

そして『p ならば q (p ⇒ q) が真』であるとき,


p は q であるための 十分条件

q は p であるための 必要条件

といいます。

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定義を見るだけだと「無味乾燥」です。わかったような、わからんような…。これをなんとか暗記してテストに臨めば、紙の上での「一問一答式」にはなんとか対応できるかもしれません。でも、それでは全然応用が利かないでしょう。こういうのは応用が利いてなんぼもの。実社会での応用を念頭に、具体例で「命題とは何か」を掴んでみることにします。

例えば、Xという生き物がいます。「Xが犬である」ということは「Xが動物である」ということの何条件になるのでしょう。

p =「Xが犬である」

q = 「Xが動物である」

とすると、

『p ならば q』=『「Xが犬である」 ならば 「Xが動物である」』

という命題は正しい、つまり「真」です。ですから、p(=「Xが犬である」)は q (=「Xが動物である」)であるための 十分条件に相当する。ということになります。
(ちなみに、「Xが動物である」はさっきの命題の必要条件に相当します)

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犬と動物を使うことで「ぼんやり」と見えてきたと思います。

ここで
「犬全体という集合体(チワワ、柴犬、トイプードル・・などか含まれている)」(Dogsと名づける)

「動物全体という集合体(犬、猫、馬、牛・・などが含まれる)」(Animalsと名づける)
を考えます。

Q.DogsとAnimalsとでは、どっちが集合体として大きいか?
A.無論"Animals"の方が大きい
これを、Dogs⊂Animals と表記します(気分としてはDogs<Animalsと同じこと)。

先ほど、『「Xが犬である」 ならば 「Xが動物である」』の命題が与えられたとき、「Xが犬である」は十分条件に相当するといいました。
ちなみに、集合体としての大小では「Dogs⊂Animals」ですから、命題が真のとき「小さい集合体」が十分条件になるんです。そして「大さい集合体」が必要条件になる。

集合体の大小関係で「十分条件なのか必要条件なのか」ということも識別できます。

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しかしながら、まだまだ無機的な感じでどこか腑に落ちない。

そこで「教えてgoo!」に投稿された「十分条件・必要条件に関する説明」を紹介致します。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/50409.html
から転記しました。

Aさんの回答:

「数学的な議論は他の方がきっちりとやっているようなので、私はそれぞれの条件の「気分」について書きます。

必要条件の「気分」は、結果を認めてから前提条件を探る感じです。十分条件の「気分」は、なにか強い条件を持ち出して望ましい結果に持ち込む感じです。


(1) 「スポーツ選手として成功する」ための必要条件は「努力をすること」です。
  (成功してたら、努力してるはずですよね。)
(2) 「テストで0点をとる」ための十分条件は「名前を書かないこと」です。
  (0点をとる最終兵器です。)

言葉をかえると、
必要条件は「絶対にそうなってないとダメなんだけど、それだけじゃ足りないかもしれない」条件のことで、十分条件は「かならず結論が成り立つのだけど、絶対にそれじゃないとダメってわけでもない」条件のことです。」:引用終わり

なるほど

「必要条件とは(成果に至るための)前提条件である。が“結果を保証する”程の威力はない」

十分条件とは、(成果は確実に保証されるが)絶対にそれじゃないとダメってわけでもない」

ってことですね。

他の方の回答もみてみましょう。

Bさんの回答:
「私はこういう具合に理解しました。長いですが、がんばって読んでください。
皆さんの覚え方もとても覚えやすいのですが、このように理解して覚えておくと、記憶に残りやすいですし、応用が利きます。
『「A⇒B」を示すためにAに(必要/十分)な条件である』ととらえてください。

『AがBである(Bに含まれる)ことを確かめるためには、Aがこの性質をもつことは必要だけど、それだけで十分とはいえない』という条件が、必要条件です。
「整数nは2である」ということを示すためにnに必要な条件(必要条件)の一例として「nは偶数である」が考えられますが、偶数である、という条件だけでは、「整数nは2」とは言いきれません。よって、これは必要条件ですが、十分条件とはいえません。
逆に、nが偶数でなかった時、nが2になることはありえません。

『AがBである(Bに含まれる)ことを確かめるためには、Aがこの性質をもつことがわかればそれで十分』という条件が、十分条件です。
「整数mは偶数である」ということを示すためのmの十分条件の一例として「mは2である」が考えられます。2は偶数なので、その時点でmが2であることは決まってしまいます。でも、mが2でなかった場合も、mが4,6,8…ならこれは偶数ですから、mには4,6,8…の逃げ道が残されています。これが、十分条件です。

必要条件と十分条件の関係ですが、これはちょうど逆になっています。
必要条件とされる条件が満たされても、必ずしも題意は○(正しい)じゃない。
でも、満たされなければ、題意は絶対に×(まちがい)。
十分条件が満たされれば、題意は絶対に○。
でも、十分条件が満たされなくても、必ずしも題意が×とは限らない。
こんな具合です。
で、必要十分条件ですが、これは必要条件と十分条件のいいとこ取りと考えてください。
必要十分条件が満たされれば、題意は絶対に○。
満たされなければ、題意は絶対に×。
ということです。必要十分条件は万能です。

まとめると、
『その条件が満たされても題意を示すには十分じゃないけど、必要(必ず要する)なわけだから満たされなければお話しにならない』というある意味ゆるい(満たされる範囲が比較的広い)けれど逃げ道を許さない条件が必要条件で、
『その条件が満たされれば題意は一発で示されるけど、満たされてなくても逃げ道は残されている』という厳しい(満たされる範囲が比較的狭い)けれども逃げ道の残された条件が十分条件です。
理解できましたか。」:引用終わり

なるほど

「必要条件とは「ゆるい(範囲が比較的広い)条件」である。でも、それすら満たしていなければ、そもそもお話しにならないという意味で必須なモノ」

十分条件とは「きつい(範囲が比較的狭い)条件」であるが、他にも方法論がありうるという点で、ひとつのケーススタディ的な参考」

ってことですね。

次も見てみましょう。

Cさんの回答:
「みなさん、本格的説明をされていますので、シロウトっぽい説明をすれば、
 「野球で点を取ることは、勝つための必要条件」(点をいれなきゃあ勝てない)
 「相手を0点に抑えることは、負けないための十分条件」(とられなきゃ負けることはない)
 「相手チームより多くの点を取ることは、勝つための必要十分条件」(いずれも最終回まですんで、ということで)

 よく、延長戦のリミットがあるとき、最終回のオモテを0点に抑えたチームに対して、解説者が「これで負けはなくなりました」といってます。「負けないための十分条件」はひとつ満たしたわけですね。
 その裏、1点取ればサヨナラ勝ちですが、「相手より1点多くとった」ことによって、「勝つための必要十分条件」を満たしたので、それ以上続ける意味がなくなり、ノーアウトであっても試合終了です。(サヨナラホームランの場合は、1点で勝てるときに満塁ホームランを打っても、ちゃんと4点はいりますが)」:引用終わり

なるほど、目的(結論)として「勝つ」と「負けない」の2つを挙げていて、仮定も「自分が点を取る」と「相手に点を与えない」の2つがあります。ですから、命題がいろいろで構造としてはちょっと複雑になりますが、ニュアンスは伝わります。

他の方のもあるのですが、上記3名の方の説明が「イメージのしやすさ」でベスト3でしたので記載しました。

さて、私の「味わい方」を申し上げることにします。

世の中では命題的議論、平たく言えば「こうすればこうなる」的な議論で因果や法則などを勘案することは、ビジネスを上手く遂行するために日常茶飯事で行われます。

こうした命題的議論は、
「どうやったら達成できるのか」
に関する種類の議論と
「なんで達成できなかった(できた)のか」
に関する種類の議論にざっくり分けられるようです。微妙な命題もありでしょうが、ひとまず上記の2つのいずれかに分類できるということにしましょう。

そして、これら両者では議論の時間軸的な方向性が
「未来向き」か「過去振り返り」か
という大きな違いがあります。

つまり、
「どうやったらできるのか」というのは、どちらかと言えば「未来向き」です。言い換えれば「事前の合理性」の探求です。「これから」を相手にするイメージ。

一方、
「なんでできなかった(できた)のか」というのは、どちらかと言えば「過去振り返り」です。言い換えれば「事後の合理性」の追求です。「後解説・後講釈」っぽいイメージ。

このように、命題的議論を「事前の合理性」と「事後の合理性」に区分すると、必要条件と十分条件との対応関係が割合とはっきりします。

いろんな人の意見を参考にした結果、必要条件とは「結果を保証するものではないという点で“あいまい”なのだが、少なくともそれを満たしていないと話にならないよ」というような条件でした。

そして、先ほどの「事前・事後」の区分で言えば「事前の合理性」に近い雰囲気を持つと思うんです。ですから、「必要条件」とは「これからを考える」というニュアンスに近いような気がするんですね。いわば「良い大学に入るには、ひとまず勉強しないとね」みたいな感じです。“勉強しないとそもそも大学なんて無理、でも結果は保証の限りではない”、てな具合。将来のことなので当然リスクがあるわけです。

それに対して十分条件とは「結果は確実に導かれるが、それはひとつの具体例であったり、事例である(他に結果に至る経路とか手段などがあるかもしれない)」ということでした。

でも、良く考えると、世の中で「確実な結果」って事後的にしかワカラナイものです。ですから、事後の結果を見た上で、「ああしろ・こうしろ」みたいな講釈を後付けで展開する雰囲気があるなのが十分条件です。

その意味で言えば、十分条件とは「事後の合理性」に近いニュアンスなります。敢えて口悪く言えば「結果論」ですね。いわば「良い大学に入れたのは、勉強したからだ」みたいな感じ。成功者の自慢話にも聞こえる。全く役に立たないとは言いませんが、投資の世界で言う「バックチャート」のような議論です。

会社などでの議論の多くは「これからのことを話し合う」わけですから、「事前・事後」いずかれが多いかというと「事前の合理性」の話が多い。つまり、「必要条件」についての話し合いになります。
ところが、そこへ、十分条件つまり「事後の合理性」のようなものを持ち込まれるケースがあります。
そうすると、周りは結果論的自慢話のように感じて、議論がかみ合わなくなる。結果論なら結果論として「ひとつの事例」として控えめに提示すれば、周りからの納得感も増すんですが、持ち込んだ当人はついつい「事前の合理性」を満たすための必要条件のように述べてしまいがちです。傍から見て「イタイ」ときも。

事前なのか事後なのか、つまり論点が必要条件なのか十分条件なのかの吟味不在のまま、互いに討論するせいで、冒頭で述べたような「微妙なすれ違い感」が出るのかもしれないなあと最近感じます。

今後はよくよく注意しようと思うのです。

例えば「ハイリスク・ハイリターン」という言葉がありますが、これについても「これは事前のことなのか事後のことなのか」、つまり、「必要条件を述べているのか十分条件なのか」といった具合に、議論のそもそもの前提をクリアーにしなければその後の会話が成立しなかったりします。今から実施する「ハイリスク」な行動が、今後の「ハイリターン」を保証する訳ではないでしょうから、その意味では必要条件っぽい感じがします。他方、「ハイリターン」を獲得した人を調べたら皆さん「ハイリスク」だったという話であれば、それは十分条件ですね。
つまり、「ハイリスク・ハイリターン」と言う命題は必要条件でも十分条件でも有り得るわけです(だからといって必要十分条件を満たすとも限らない)。

誰もが前向きに議論に参加して「こうすべきだ」と発言したいものでしょうが、上記のような「事前・事後」といった時間軸背景等を勘案しないと空転してしまう、案外デリケートで難しい部分のあるコミュニケーション・スキルの問題だと思います。