ガイトナー米財務長官の最後通牒ゲーム

ロイター(6月30日)のヘッドライン記事に

“債務上限引き上げなければ「想像絶する打撃」=米財務長官”

(ソースはhttp://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-21985720110630

というのがありました。

米国では、国の借金(連邦債務)が2011年5月16日の段階ですでに現行上限の14兆2940億ドルに達しています。今回の「債務上限引き上げ」の話は、要するに「キャッシングの枠」を目いっぱい使っちゃったから枠を広げてくれと要請しているということなんです。

実は、米国の連邦債務の上限は1962年以降、通算74回にわたって引き上げられていて、2001年以降にこのうちの10回が実施されているんです。すんごいですね〜。借金は膨らむ一方なのは日米共通なようです。その辺でも「Tomodachi」関係が成立するかもしれません。

さて国家からの「借金上限を引き上げ下さい」というお願いに対して、国民は「はい」か「いいえ」が選択できるのですが、

1.「いいえ」を選択すると国家は破綻する、つまり「これまでの借金」を国から返してもらえなり、損が出るかもしれない(評価損が実現損として確定してしまう)。

2.「はい」を選択すると破綻は当面回避できる。つまり、損が出ないですむ(評価損のままですむ)。

という状況なのですな。

さて人間の報酬系に対する意思決定は利得領域と損失領域では逆なるということは知られています(プロスペクト理論という)。「損失領域」では、損失を「確定させる(変動リスクがなくなる)」よりも「不確定(変動リスクを残したまま)」を選択するという偏向性があります。損を損として計上せず、「あいまい」にしておくんですね。その方が「そのうち状況が良くなって、もしかしたら損をしないですむかも」みたいな淡い希望も残せますし。

そう考えると米国民も人間ですから、2「はい」を選択しそうです。

プロスペクト理論的にいえば、ここで1は心理的に選択しにくい、ならば2を選らばざるを得ないであろうということですね。結局、「最後通牒ゲーム」に似た状況なのでした。

■■

ちょっと話題は変わりますが、

私が「1年後に全額返済してもらう」という約束の下で友人に100万円を貸したとします。1年後友人が現れて、私にこういいました。

友人「すまんがもう100万円貸してくれ。もう100万円貸してくれれば前回借りた100万円とともに200万円全額返せるあてがあるのだが、貸してくれなければ前回の100万円はパーだ」

てっきり、100万円を返してくれるのかなと思いきや更なる借金の催促でした。いったい私はどうすれば・・・。

要は「前回貸した100万円」をあきらめるかどうかということなんですが、「あきらめなくてはいけないコスト」を経済学ではサンクコストというんですね。そして、サンクコストが絡むとヒトの判断はしばしば曇る・・・と教えているのが行動経済学です。

ガイトナー米財務長官の最後通牒ゲームでもギリシャ危機でも、サンクコスト(それまでに貸した借金)が絡んでいると言う点でみれば、さっきの「私と友人」の例に似ていると思いませんか?

■■■

「私と友人」の例での「友人」が、仮に確信犯的にやってのけているとしたら、かなりのヤ○ザモノと言えるかもしれません。ヒトのサンクコストに付け込むというのはヤ○ザの基本形のような気がしますから。