「今後30年以内に発生する確率を87%」とは何か

もうかなり前(先月上旬)に出た話題になります。

「政府の地震調査委員会は、浜岡原発直下で発生すると想定される東海地震が、今後30年以内に発生する確率を87%としている。菅首相も原子炉停止の要請の根拠としてあげた。(asahi.com上で2011年5月7日7時30分に配信された長野剛さん文責の記事から抜粋引用)」

ここから東海地震発生確率に関する「向こう30年以内に87%」という学者内コンセンサスが出回り、世間のコンセンサスとなりました。

なお、本文には

「ただ、この確率は「参考値」で「いつ起こってもおかしくない」状態と言われ、中央防災会議はエネルギーが「臨界状態まで蓄積している可能性が高い」と指摘した。」

ともありました。

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以下の「」内の命題(内容)は中学・高校数学で学ぶ「確率・統計」の知識から容易に導き出せる「互いに同値(同じ)」な命題です。

1.今後30年以内に87%の確率で少なくとも一回は起きる
2.今後30年以内に13%の確率で一回も起きない
3.今後10年以内に49%の確率で少なくとも一回は起きる
4.今後10年以内に51%の確率で一回も起きない
5.今後1年以内に6.6%の確率で少なくとも一回は起きる
6.今後1年以内に93.4%の確率で一回も起きない

いかがでしょうか?

「今後30年以内に87%の確率で少なくとも一回は起きる」
ことと
「今後1年以内に93.4%の確率で一回も起きない」
ことが“数学的には同じこと”なんです。

しかしながら、上記を聞いて人間の受ける印象は1〜6で全く同じではないでしょう。

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数学で学ぶ確率には「確率論」としての定義やらルールやら公理があります。例えば、全確率は100%である(裏を返せばマイナスの確率もないというとになり)、つまり「確率とは0%から100%までの値を取る」という「約束事」が存在します。なぜなら、その背景に「頻度確率」(起こりうる回数の割合のこと)が常に意識されているからです。

野球の打率も典型的な頻度確率ですが、打率にも「10割超」がありません。「1打席で2本のヒットが打てない」からです。つまり「打席の頻度」を「ヒットの頻度」が上回ることはない(下回ることはあっても)。

ちなみに、こうした確率を英語ではProbabilityと呼びます。

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ところが世間一般の確率には「もうひとつ」ある。先ほどの野球の例を
取れば、ある絶好調の打者が打席に向かう際、チームメイトが「今のあいつなら120%ヒットを打つぜ」とつぶやいたとしましょう。

ここで「エッ?120%?・・・キミキミ、確率には100%の数値はないのだよ」なんて注意して差し上げるも野暮というもの。この場合の確率は「主観的な確からしさ」や「確信度」を述べた一種の個人的見解であり、頻度確率ではない。先ほどとは別種の確率なので「主観確率」とか「確からしさ」などと呼んでいます。

英語でもLikelihoodとかConfidenceと呼ぶ(もっともっと細かい話をするとLikelihoodとConfidenceも厳密には互いに別物ですが、話が枝葉末節化するので別の機会にします。いまは概ね「ざっくり区分け」に留めて置きます。)

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さて、政府の地震調査委員会の発言内容に戻りますが、彼らは上記2種類の確率(頻度確率と主観確率)を述べているようです。

ひとつは「今後30年以内に発生する確率を87%」(頻度確率っぽい内容)、

もうひとつは「いつ起こってもおかしくない状態」(主観確率っぽい内容)

そして、どうやら主観確率の方が頻度確率よりも高いレベル(さっきの例で述べた「120%ヒットを打つぜ!」な状態)にあるようだ。

いや、もしかしたら最初に主観確率ありきであって、その自らの危機感を伝えるために「今後30年以内に発生する確率を87%」というロジックを持ち出したのかも知れないですね。

ここで仮に
「今後1年以内に発生する確率が6.6%だ!みんな気をつけろ!」
といっても説得力ないし、

或いは
「今後1年以内に93.4%の確率で起きない」
などと言おうものなら、むしろ
「だからみんな安心しろ!」
という意図とは反対の文脈に繋がってしまう恐れがある。

申したかったのは、「主観的確率の基づく文脈を維持するため頻度確率の見せ方・出し方を工夫した感があるなあ」、ということでした。

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統計屋さんにはくれぐれもご注意ください。