ロボット投信のはなし

2011年6月12日付の日経新聞15面に「ロボット投信の実力は?」というタイトルの一面記事が出てました。

私の仕事と深い関係のある内容なので、ついついコメントしたくなってしまいました。

記事のサマリーや数値的な参照は、こちらの方のブログでも触れられております。
http://shinshu.fm/MHz/01.12/archives/0000361806.html

私自身が参考になったのは、ロボット投信に対する「世間の目」や「一般の方が抱くイメージ」というものが記者の記事を通じてなんとなく分かったという点です。

1.まず、文脈から察するに、ロボット投信とは
「銘柄選別や売買時期など投資判断の大半をコンピューターに委ねた投信」
ということになるようです。

2.そしてこうした「ロボット投信」は相当珍しく(ちょうど、将棋界で「ロボット棋士」がいないように)、多くの投信は「意思決定の大部分はヒトが関与する」と世間では思われている。ですから、敢えて記事になる(珍しくなければそもそも記事にならない)。

3.文章の最後には、「運用が上手なのは人間か、ロボットか」といった表現があり、チェスの世界と重ねられており、ある種の「対立関係にある」ような扱いで語られている。ということは、世間的にはロボット投信は「機械どもVS人間様」という古典的な対立軸の下に置かれていて、その立ち位置はどちらかというと風下(悪役)っぽくて、やや分が悪そう。

4.途中「クオンツ投信」という言葉が出てくる。そして、「クオンツとは統計学を駆使し・・・うんぬん」と解説があり、ロボット投信との類似性を語っている。したがって、ロボット投信はクオンツ投信に似ていて、両者共に「モデル(女性雑誌の「モデル」ではなく、「フォーミュラー」のこと)」に従っていることを示唆。


5.すると「モデル」が「人間様」を上回られるのか?「人間様の経験知(定性)」の価値はないのか?ということになるが、震災での急落局面では素直に動いたモデルに軍配が上がったとのこと。

その理由として、

人間様投信の場合は「割安と思っても投資家(上位の人間様)への説明が難しいといった“別種の理由”で買い向かうのをためらった」等の心因が邪魔したが、「ロボット」にはそもそもココロがないので心因の影響を受けず、これが功を奏した(のではないか)

とある。

6.「心因の影響」は常に悪なのか?ココロのないロボットが常に優位か?というとそういうことでもない。
現にここ数年のクオンツ投信の人気はパフォーマンスが冴えず低迷気味だ、ともあり記者らしく客観的にまとめています。

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ちなみに、私は「ロボット投信」に近い筋で仕事をしている(いた)者です。

記事の内容が、内容的に若しくは認識的に「正しい認識か間違っているか?」ということは抜きにして、この手のテーマでは

機械的運用VS人間的運用」

という劇場型で語られるんですね。

ところが、機械的運用(ロボット投信など)では機械装置(ロボット)を作るのは人間ですから、その運用思想の設計段階、判断基準の作成段階並びに機械装置の運用段階で人間が大いに関与することになる。

ですから文中で語られる「ロボット投信」のどうしのパフォーマンス格差は、しょせん「関わっている人間の差」なんです。

しかしながら、そうは説明されず「ロボット投信」として十把一絡げに語られ、「人間差」あまり触れられない。

ずばり申し上げると、あるロボット投信が長期に上手くパフォーマンスを挙げたのは、そのロボットを操った「人間が上手かったから」ということに他ならないんです。

正直に言って、ロボット投信を十把一絡げに扱ってもあまり意味がない。

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逆に、ロボット運用の対立候補である「人間的運用」とは一体何でしょう?ここでの文脈上、ロボットが「統計を使った定量的な情報に依存していること」を勘案すると、人間的運用とは概念として「純然たる定性的な判断による運用」ということなのでしょうか。つまり、

「純然たる定性」
=「全て勘に頼る」
=「数値的なもの(例えば、銘柄ランキング)などは一切使わない」
=「平均とかばらつきといった統計量も見ない」

という「究極の状態」を指すとしましょうか。

でも、この「究極の状態」を達成するのもかなり難しい。例えば、財務情報などは数値的ですし、人間はたいてい「業界平均に比べて・・・」とか「過去の株価の水準と比べて・・・」といった比較を頻繁に行い、それに基づいて意思決定したりします。そうなると、投信の性質上の「ロボット性」(統計を使った定量的な情報に依存する性質)が増すことになります。

つまり、人間的運用でも「ロボット性」は多分にあるんですね。そして、運用の良し悪しは当然のことながら「関わっている人間の差」になります。

つまり、当該記事は「対立劇場型アプローチ」を採択していると言う意味でキャッチーなのですが、本質的にあまり意味がないような気がしました。ロボかヒトかではなく、ひとえに「運用は上手なヒトに頼むに限る」ということです。でも、上手なヒトを探すのが大変困難なのですが。