ニュースをみるとばかになる10の理由
もはや10年位前に発行された翻訳書だが、その名も「ニュースをみるとばかになる10の理由」と実にストレートな邦題だ。
ちなみにアマゾン中古市場に流通している模様。
なぜこの本のことを思い出したのかというと、311の大震災ならびに福島原発事故をきっかけにして、その後の原発停止紛争や脱原発運動などの市民運動が活性化し、加えて市民の政治に対する不平不満・不信不安が絶頂化するこの期に及んでいるにも関わらず、肝心の政治の方はより一層迷走・混迷・放置・放棄ぶりが強化されるという異様な状況下において、
「既存大手メディアの発信するニュースの存在感がいまいち薄いなあ」
という気がしたからです。この本はそもそも既存メディアのニュースをみるとばかになるので見るなという立場なのですが、改めてそうかもしれないなあと考えたのでした。
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この本の中で最も印象に残っているのは、米既存大手メディアの発信するニュースは真の意味でのニュースではなく所詮「ニュース製品」という加工品だと喝破している点でした。
ここで「だから大手メディアは当てにならん大本営だ!」といった具合に、ずばり「大本営」と言う表現をつかうと露骨に情報を隠蔽したり、虚構捏造歪曲のオンパレードというイメージが強すぎて半ば「うそつき」と言わんばかりになってしまいます。
著者の「ニュース製品」という語に込めたニュアンスは、
「主語や述語レベル」を操作するのではなく(主語や述語を操作すると即捏造になってしまう)、
飽くまで「修飾語レベル」をいじる。つまり「表現を誇張する、大げさに言う」といったレベル感に基づいています。具体的には「切迫文体の多用」ということなのですが。
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報道をみていてもメディア側の「ニュース製品化の技能・技術」は進んでいるなあと思います。伝える事実を歪曲しないで、情報を受け取る側の印象をうまく操作する。一種のコミュニケーション能力ですね。見習いたいものです。