信頼と信用の違い

今でこそプロ野球読売ジャイアンツの正捕手で且つ打撃では主軸を勤める阿部慎之助選手も若手時代はリード面で悩んでいたことが多かったそうだ。

そんな時分に前正捕手の村田真一コーチが阿部選手に

「ピッチャーは信頼しても信用するな」

と教えたことは有名だ。

なんとなく分かったような気がする言葉だが、よくよく考えると「信頼と信用」って意味的にも、用いられる場面的も非常に似通っており、むしろ両者の違いを認識する方がムズカシイ。この二つの言葉の違いはどこにあるんだろう。それが分からないと村田コーチの真意も理解できそうにない。

手始めにインターネット辞書で調べてみた

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「信用」
1 確かなものと信じて受け入れること。「相手の言葉を―する」
2 それまでの行為・業績などから、信頼できると判断すること。また、世間が与える、そのような評価。「―を得る」「―を失う」「―の置けない人物」「店の―に傷がつく」
3 現在の給付に対して、後日にその反対給付を行うことを認めること。当事者間に設定される債権・債務の関係。「―貸付」

「信頼」
[名](スル)信じて頼りにすること。頼りになると信じること。また、その気持ち。「―できる人物」「両親の―にこたえる」「医学を―する」

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どうやら「信頼」より「信用」の方が意味のカバー領域が幅広いようだ。逆に信頼は「信頼関係」といった特定文脈で用いられがちなようだ。


次に類語辞典ではどうか

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信用(しんよう)/信頼(しんらい)

[共通する意味] ★相手を信じること。

[使い分け]
【1】「信用」は、相手や相手の言うことが確かであると信じて疑わないことをいうが、「信頼」は、相手の能力を信じて頼りにすることをいう。
【2】二語ともよく使われるが、「信用」はごく軽く使うこともある。また、「信用」は、「信用にかかわる」「信用を落とす(失う)」のように、よい評判という意味で用いられることもある。

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なるほど。

例えば、「信頼できるアプリケーション」という表現はアリだが、「信用できるアプリケーション」というのは少し妙な感じがする。つまり、「能力」つまり「ヒト類やモノ類、ツール類がつかえるか?つかえないか?」が主に問題視される条件文脈では「信頼」を使うが、「信用」は使用しないようだ。

逆に、「信用」という語の背後や根底には「道徳面での人間性の根本」とか「倫理的な精神性(信念)の本質部分」がなんとなく見え隠れする。お金や商売に関することも「信用問題」と表するのもこの辺りに起因するのかもしれない。

単に局地的な場面で「役立つ」「有益である」「つかえる」というニュアンスだけではなく、無条件に且つ半永久的に「うのみにする」「心から信じて疑わない」「全面的に依存する」というニュアンスまで含まれるのが「信用」であるようだ。

ここまで来ると、

「信頼」= 一時的な「信用」or 条件付きの「信用」or 局面的な「信用」

という公式が成り立ってくる。ここまできてようやく、村田コーチの真意が分かってきた。

他人の言葉をちゃんと理解するのって難しい。

さて、そう考えると、中国って「信頼はしても良さそうだが、信用はしない方が良い」のだろう、今のところ。日本人はどこか「ルーキー時代の阿部慎之助クン」のように中国人に比べてガメツイ世界の経験に乏しいので擦れてなく、拝金主義の洗礼を受けていないためお人よしだ。村田コーチの言葉は役に立ちそうだ。なんだか世知辛い感じだが、仕方がなかろう。